والله! ـ 投稿者:加藤 義啓
投稿日: 7月24日(月)02時12分48秒D
『アラビア語会話』(NHK,NHK教育)、第16課。
「「السلام عليكم! ـこんにちは、ياناغيّا كاروكوです。さぁ、毎回ですね、この後、オープニングのテーマ曲ね、えー、عود奏者のنصير شمهさんの曲なんですけれども、彼が以前来日した時に、コンサートを聴きに行ったんですけれどもね、いや、ほんっとに素晴らしい! もう心に染みる迫力のある音楽なんですよ。で、今日は、何と皆さんにお聴き頂きたいと思いまして、楽しみにしていて下さい。番組の、後半です!」」…前の講座の時に来日した折、本番組のキャストがゲストとしてステージに呼ばれていたそうですね。関心はあったのですが、残念ながら時間を作る事が出来ず、公演を聴きに行くのは出来ませんでした。
「「今迄ね、あのー、旅行で役立つフレーズ、買い物や劇場に行くなんていう色々なフレーズがありまして…。あの、僕、遺跡が大好きで。いやぁアラブ世界に行く楽しみの一つが遺跡巡りをするっていうのがあると思うんですけどね」「うん、アラブ各地に素晴らしい遺跡が沢山ありますけれども━━」」…加藤も大好きです、遺跡。特にアラビア地域の場合、その代表格にあがるのがمصرのピラミッドですね。他にも勿論色々ありますが。
「「━━レバノンの場合は、بيت الدينっていうね、イスラーム建築の傑作と言われている場所がありますから、是非、そこ観て欲しいですね。という事で今日は、بيت الدينに行きたいです、という文を覚えましょう」」…لبنان! مرة ثانية! ـところで、بيت الدينは“ディーンの家”という意味ですよね。“ディーン”…? صلاح الدينと何か関係があるのかな…?
「「أريد أن أذهب إلى بيت الدين. ـ」━━「また今日も長いっスねェ…」「でもね、長いのは…、بيت الدينに行きたいっていう、そのبيت الدينっていう固有名詞が長いからなんですね。文章自体はそんなに難しく無いんです」「そうですか」「はい。أريد أن أذهب إلى بيت الدينと言っていたんですね。はい、で、今日のポイントはأريد أنプラス動詞で“私は何々したい”という意味になるんです」「はい」「で、今日の動詞はأذهب、“私は行く”、でしたね。أريد أن أذهب、“私は行きたい”。で、إلىっていうのは“どこ々々へ”という意味で、أريد أن أذهب إلى、行きたい処が、بيت الدينだったという訳ですね」」…これは非常に大事な表現ですし、嫌でも頻繁に使う事になるので、ここはもうأريد أنという熟語として覚えた方が実は正解だったりすると思います。同様のものが来月の放送で出て来るيمكن أنですね。ほぼ同義のأستطيع أنも、ついでに覚えておくと吉。
「「例えば…、そうですね、もしエジプトに行ったら皆が…ピラミッドですね」「ピラミッド行った事無いんで行ってみたいです、僕」「ピラミッドはالأهرام」「あれ、ピラミッドはピラミッドって言うんじゃ無いんだ!」「違います」「アハハ、あ、俺ずーっとそうだと思ってたぁ、بيراميدとか言うのかと思ってた、全然違うじゃない!」「الأهرام」「あっそう…」「そうすると、أريد أن أذهب إلى الأهرام」」…どうせならばإلىじゃ無くてفيだよね、勿論そんなんのは基本的にダメだけど。(^^;;;
「「で、スキットの中で、会話あったでしょ? 何て言ってたか…?」「…?」「لا توجد حافلة、そう、“バスがありません”って意味なんです」「ああ成程」「لا توجدというのが“ありません”、حافلةが“バス”」「だから、その、“バスがありません”と言う場合はلا توجد حافلة、逆にバスがある、と言う場合は、どうなると思いますか?」「バスがある…?حافلة...نعم…、何だろう…?」「とってもね、簡単なんですよ。最初のلاを取って、توجد حافلةと言えば」「あ、ただلاを取ればいい!」「そうなんです」」…動詞وجدで、“見付ける”とか“判る”というのが原意らしいのですが、“何々が見出される”=“何々がある,いる”という意味として使われるようです。عندとはまた違った“ある”という概念。これは覚えておかないとです。
「「さて、このتوجدというのも…、女性にしか付かないんです。そうすると男性はどうなるんでしょうね?」「はい!?」「حافلةは女性形です。ではもし、男性形の名詞が“あります”って言うんだったら…」「ここではですね、يوجدに変わるんです」」…こんな教え方をしないで、ちゃんと活用の仕方を教えた方が良い気がするんだけれどもなぁ…。かえって判り辛く無い?(汗)
「「さて花緑さん、今日は“私は行きたい”、أريد أن أذهبという文章を覚えましたけれども、أن أذهبで“私が行く事”、أريد أن أذهب、“私は、私が行く事を望む”」「うんうん」「つまり…、アラビア語の場合は“私”−“私”って2つ重なるんですね。“私は欲する”,“私は行く事”、ね、そこアラビア語の特徴的な処かもしれないですね」」…これはね、日本語で考えると二重に感じるのですけれども、実はよく出来た文法構造なのですよ。例えば“お前に行って貰いたい”というような時はأريد أن تذهبと言えば良いし、“あいつは俺に行って貰いたいんだ”という時はيريد أن أذهبになる訳で、個々の動詞の主語を自在に差し換えられるのです。
「「で、このأريد أن أذهبのأذهبَ、“私は行く”という動詞なんですけれども、これ実は元はأذهبという動詞なんです」「ああそうか」「أذهبなんですが、この前にأنが来る事によってأذهبَと形が、ちょっと母音が…、語尾の母音が変わるっていうきまりが、あるんですね」」…これは、その動詞が目的格である対格になるから。そういえば、今回のNHK講座では、格に付いては殆ど触れていませんね。難しい概念なので放置する…というのも手ではあるとは思いますし、実は感覚的に覚えた方がうまくいく、という事もあるのでしょうけれども(現に加藤がそうなのですけど)、こういう教え方でいいのかなぁ…という疑問は残ります。
「「さて“私は何々する”っていう動詞を色々覚えると、“私は何々したい”っていう文章を色んなバリエーションで使う事が出来るようになりますね」「そうだね」「そうすると例えば、“聞く”はأسمع、“私は聞く”、أسمع、そうすると“私は聞きたい”は?」「أريد أن... ـ、あれ、最後どうなるんだろうね、そうするとね…」「うん、そのね、語尾の母音で迷っちゃう訳でしょう? だから迷わない為にこうしましょうよ。أسمعُでもأسمعَでも無く、أسمعْっていう、子音だけで短く発音しちゃう訳」「あ、それ出来る訳」「うん、そうすると、間違いにはならないし」「ほーぉ、そうなんスか」「はい。だから、母音を全く言わずに誤魔化せばいい訳」「ハハハ…、いいね、誤魔化しのテクニックをこうして…あ、でも、そうなんだ」「アラブ人は皆そうしてます」「あ、ほんと…!?」「はい」「こりゃ面白い話です」」…これが亜語講座として正しいかどうかは微妙なのですが…、ただ、この番組は“会話”と銘打っていますし、実は口語では国や地域によって母音は変化してしまう事も少なくないので、そのくらいの気持ちで良いとも思います。というか、そうでも無いと、加藤みたいな頭の悪い人は出来ません。(笑) ちなみに語末母音の欠如は日本語でも起きています。例えば“これはリンゴです”と言う時、一般に口語では、最後の“す”音は母音が欠如している事が多い筈です。活用し、過去形の「でした」や、疑問形の「ですか」という時には母音を付けますが、この辺りも、特に格を明確にする必要がある場面では語末母音をはっきりと発音する亜語と通ずる処。これらに気付いた時、私は何だか物凄く愉快な気持ちになりました。
アラブの響き…矢張り、そういう事なのですね。実は加藤は、このコーナーを楽しみにする為に、あえてテキストの当該コーナーのページは、途中までしか読んでいないのです。
アラブの風…「「今日の2曲目で『馬のダンス』という曲を聴きましたが、このように馬が走っている処とか、或いは爆撃機の轟音とか、或いは人々の叫び。そういった、音楽以外のものを、音楽で表現するというのは今迄アラブ音楽には無かった事なんですね。だから、そういう意味で、アラブ音楽の新しい歴史の1ページを開いた、画期的なアーティストだと、言う事が出来ると思いますね」」…もともとアラビア地域には、擬音の概念が特殊で、その辺りは他の地域ではちょっと感覚的に理解し辛いかもしれません。特に日本は昔から擬音に対しては極めて優れており、発達していましたし、それらは伝統芸能で太鼓等による森羅万象の音を表現したり、或いは狂言や落語等で擬音語,擬態語を驅使する場面からも判ります。とは言え、世界のメディアが交錯する時代に入り、アラビア地域でも当たり前のように日本のマンガやアニメが観られるようになり、今後はそうした概念もどんどん変わっていくでしょうし、نصير شمه氏はもしかしたら、それらにもインスパイアされていたのかもしれません。
「「はい、では番組の最後はですね、いつものようにアンミーヤコーナー。お国ことばですね」「何でしょうか」「今日はですね、実はスキットの中に出た表現があるんですけども、それは“本当?”、フスハーではحقا؟ ـ、お国ことばではどのように言うか、早速、VTR、ご覧下さい」━━(シリア レバノン地域)「ワッラ?」━━(エジプトなど)「ワッラーヒ?」━━(湾岸地域)「ワッラ?」━━「まぁ、あの…、所謂その、相手の言葉を確認する時にですね、確める時に、言うんですね」「“本当?”」「والله؟ ـ、でまた、イントネーションをですね、変えることによって、もう一つ意味があるんですよね」「うん、そう。これね、もともと“神に誓って”っていう意味だから、語尾を上げないでوالله! ـって言うと“ほんとなんですよ”っていうね」「ニュアンスが変わりますね」」…ただしحقا؟ ـは口語でも普通に、頻繁に出て来るので、どちらを使っても構わないでしょう。折角なので、وの意味をメモっておこう。お馴染の接続詞、英語のandの意味の他に、“〜しながら”や“〜に賭けて”という意味があるらしい。なので、واسم جدي! ـならば“ジッチャンの名にかけて”になる訳ですな。ちなみに検索結果→النتائج حوالي 37,100 لـ واسم جدي. ـ(…による結果、約37,100件)。実際にヒットしているのは“〜と”の意味のものが殆どのようなので、必ずしも某コミックと関係あるとは限らないのですがね。参考までに「كيندايشي شونين نو جيكينبو」スレッド。
http://www3.to/katoo.com/
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